2011年御翼12月号その4

坂本龍馬を斬った今井信郎(のぶお)、伝道者となった龍馬の甥・坂本直寛

 倒幕派・坂本龍馬は、幕府にとっては危険であると、1867(慶応3)年、京都見回り組(徳川幕府の体制を守るために京都の治安にあたる)の隊員・今井信郎(のぶお)によって暗殺された。暗殺に関わった数人は、東京・伝馬町刑場で取り調べを受け、裁判にかけられる。その中で今井だけが、龍馬殺害に関わったと自白する。龍馬と親しかった西郷隆盛は、自白した青年の命を奪うのは惜しいと、敵である今井の助命嘆願に動く。一命を取り留めた今井は、後に静岡県牧の原に流される(明治11年)。今井は、静岡県初倉村で開墾事業(お茶の生産)を始める。
 ここから、今井の第二の人生が始まった。静岡では1871(明治4)年から、米国人宣教師により伝道が始まっていた。最初は幕府が禁止していたキリスト教を迫害していた今井は、ある時、仕事で出かけた横浜の海岸教会(現在の横浜海岸教会)に立ち寄り、説教を聞いて攻撃の材料を仕入れようとした。ところが即座に、説教にひどく感激し、その教義が誠に正理正道であると感じる。その後、彼は熱心に求道し、各種の事業に耶蘇教の精神を吹き込み、禁酒活動といった矯風の事業に尽力した。今井がクリスチャンとなった時、その性格は柔和、人を見下す立場から人に仕える立場へと変わり、かつて全身にみなぎっていた殺気は消えていたという。神が、キリストを通して、すべての人生の問題を解決してくれるという聖書の教えを信じたからである。今井は初倉村の村長として人々から尊敬されていた。
 ところで、龍馬が1867年に暗殺された時、龍馬の甥・坂本直寛(龍馬の実姉千鶴の息子)は14歳だった。多感な時期、直寛にとって、日本の開化の牽引役を務めた叔父龍馬の死は相当な痛手だった。直寛もまた、龍馬がそうであったように新しい日本を建て上げるためにその青春の火を燃やす。彼は明治政府の専制政治を批判、初期の自由民権運動(国民の代表による議会である国会を開き、国民の声が政治に生かされる仕組みづくり―板垣退助が主導者)を熱く指導した。また、世界最初の婦人参政権を高知県令に承認させたのも直寛であった。この婦人差別の撤廃という精神は、後に、北海道における旭川遊郭廃止運動や婦人矯風会員の指導にも生かされたと言われている。そして、直寛の言論活動の中で歴史的評価をされているのは、「日本憲法見込案」の起草に参加したことである。「日本憲法見込案」は、国民の基本的人権、たとえば、悪しき政府に対する抵抗権や、制限付きでない信教の自由の権利などを明示した点は、今日でも高く評価されている。
 自由民権運動の中心となった高知県の政治団体・立志社(りっししゃ)では、宣教師を招いてキリスト教の演説会を開催するようになる。西洋の政治、文化、社会を理解するためには、キリスト教の思想が大切だと感じていたからである。文明諸国ではキリスト教が勢力を占めていると知った直寛は、キリスト教を日本で広めることが外交政策上もっとも都合が良いと考える。そして、宣教師たちの倫理観に感心した直寛は、1885(明治18)年、洗礼を受ける。直寛が34歳で高知県会議員に当選すると、聖書の真理を一人でも多くの人々に伝えるため高知県下を精力的に巡回し始め、政治家としても官僚主義を痛烈に批判する。そのため投獄されるが、監獄内のあまりに劣悪な環境の中で、すべてを奪われた弱さの極限状態に追いやられた。直寛は神から来る平安を体験し、その信仰は獄中で一層深められる。それまでは、政治からを糾弾してばかりいたが、聖書の真理に触れて、糾弾していた政治家らを哀れに思うようになり、彼らのために祈るようになった。出獄後、40代となった直寛は、政治活動するよりも違う道へと導かれる。そして、龍馬がかつて抱いていた、「職を失った若い武士たちを開拓民として北海道に送り込む」という構想を実現する。直寛は46歳で政界を引退し、一家で北海道の地に開拓民として渡り、やがてキリスト教の伝道師となる。彼は監獄伝道に従事し、1907(明治40)年、直寛は千人もの囚人の前で、涙にむせびつつ、人間を罪から救うため十字架に架かったキリストの愛を語った。それにより、囚人たちからは自分たちの罪を悔い改める祈りが次々と起こった。また、三浦綾子の代表作『塩狩峠』のモデルとなった鉄道員・長野政雄は、北海道における直寛の、心を許せる信仰の友の一人だった。二人は当時、停滞していたキリスト教会の霊的復興を求めて旭川の教会で共に祈り続けていたことが記録として残っている。
 今井信郎の真意(道と真理を求めていた)は明らかとなり、彼は死刑を免れ、悔い改めて良いクリスチャンとなった。坂本龍馬の、自由の国をつくるという遺志も、甥の坂本直寛によって実現する。しかも、自由民権運動といった政治活動によらず、「真理は人を自由にする」という聖書の言葉どおり、キリストによる罪からの解放という本質的な自由を与える働きをなしたのだ。

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